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東京地方裁判所 昭和54年(モ)8162号 判決

債権者 北澤國男

右訴訟代理人弁護士 杉永義光

債務者 長谷部開発株式会社

右代表者代表取締役 長谷部平吉

右訴訟代理人弁護士 本林譲

同 青木武男

同 千葉睿一

主文

一  当裁判所が昭和五四年(ヨ)第三三六一号不動産仮処分申請事件について、昭和五四年五月八日なした仮処分決定のうち、右当事者間の部分を取消す。

二  債権者の右仮処分申請のうち、債務者に対する部分を却下する。

三  訴訟費用は債権者の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者が求めた裁判

一  債権者

1  主文第一項掲記の決定のうち債権者と債務者間の部分を認可する。

2  訴訟費用は債務者の負担とする。

二  債務者

主文第一ないし第三項同旨

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  債権者は昭和二五年一二月一九日原決定別紙第二物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)を久松定武から買受けて、所有権を取得した。

2  本件土地に債務者のために東京法務局板橋出張所昭和五四年三月三日受付第一一〇八〇号所有権移転登記がなされている。

3  債権者は債務者に対し、所有権に基づき本件土地所有権移転登記請求権を有するが、債務者は不動産業者で他に処分するおそれがあり、そうすると本案判決で勝訴しても執行が不能または困難になるから、処分を禁止する必要があり、原決定は正当であるからこれを認可することを求める。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由1の事実は不知。

2  同2の事実は認める。

3  同3のうち債務者が不動産業者であることは認める。

三  抗弁

仮に申請の理由1の事実が疎明されたとしても

1  債権者は本件土地に中野竹美(以下「中野」という。)が所有権移転登記を有する外形を作った。

2  中野は昭和五四年二月一三日債務者に対し本件土地(ただし、表示は分筆前の地番の一部)を売渡し、その後分筆のうえ申請の理由2の登記がなされた。

3  債務者は前項の売買に際し、中野が本件土地の所有者でないことにつき善意であった。その根拠は次のとおりである。

(一) 債務者は、マンションの中堅分譲業者としての実績を有しており、本件土地も時価を上まわる三・三平方メートル当り(以下「単価」という。)一七〇万円、代金合計一〇億二〇〇〇万円を支払った。

(二) 債務者は、本件土地を、東京株式市場一部上場会社たる東京建物株式会社(以下「東京建物」という。)の仲介により、東京建物から中野の所有であるとの説明を受けて買受けた。

(三) 債務者は、中野及び同女の代理人たる弁護士山岡義明(以下「山岡弁護士」という。)から本件土地が中野の所有であると説明された。

(四) 不動産登記簿上、本件土地は昭和二五年以来中野の所有名義になっており、債権者との間でその所有権の帰属が争われた形跡はない。

(五) 東洋バルブ株式会社(以下「東洋バルブ」という。)が中野を債務者として昭和五二年五月東京都豊島区高田二丁目一九三五番二の土地(以下「一九三五番二の土地」という。)を仮差押していることは、東洋バルブも本件土地を中野の所有として認識したことを示す。

(六) 中野は債権者の内縁の妻であって、このような立場の者に対し内縁の夫が不動産を贈与する事例は多い。

4  前記1の登記が事前に名義人の承諾を得てなされた場合はもとより、債権者の独断による場合であっても民法九四条二項の類推適用により、債権者は名義人が本件土地の所有権を取得しなかったことをもって、善意の第三者である債務者に対抗できない。従って、債権者主張の被保全権利は疎明されないことになり、債務者に対する本件仮処分申請は失当であるから、原決定を取消したうえ、右申請を却下することを求める。

四  抗弁事実に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。税金対策などのためそのような形にした。

2  同2の事実は認める。

3  同3につき、債務者が善意であったことは否認する。債務者主張事実に対する認否及び債権者の主張は次のとおりである。

(一) 3の(一)のうち、時価を上まわるとの点は否認し、その余の事実は認める。

(二) 同(二)のうち、中野の所有であると説明されたことは否認し、その余の事実は不知。

(三) 同(三)の事実は否認する。

(四) 同(四)のうち、登記の点は認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 同(五)のうち、仮差押の点は認めるが、その余の事実は否認する。

(六) 同(六)のうち、中野が内縁の妻であることは認めるが、その余の事実は否認する。

(七) 中野は本件土地の登記済権利証を所持していなかった。

(八) 本件土地には、債権者の債務につき多くの抵当権が設定されていた。

(九) 東洋バルブの倒産に関連して、本件土地の所有権の帰属について問題があることは早くから不動産業者の間でうわさになっていた。

(一〇) 債務者と中野は本件売買に際し、手附金支払と同時に所有権移転登記できる契約をしているが、通常の取引では考えられないことである。以上(七)ないし(一〇)の各事実によれば、債務者が善意でなかったというべきである。

第三《証拠関係省略》

理由

一  債権者は、本件土地の所有権を債権者が取得したと主張し、債務者は中野が所有権を取得したとの認識の下に売買契約を結んだと主張する。所有権の帰属がどちらであっても、後記抗弁との関係では結論に差異を生じないし、債権者と中野との関係は別途解決されるとしても、中野を当事者としない本件異議訴訟で、本件土地の権利関係を判断するのは、既判力の問題は生じないとしても、資料の制約の面からも好ましくないので、この点の判断は留保し、抗弁について検討する。

二  債権者が、本件土地につき中野が所有権移転登記を有する外形を作ったこと、中野が昭和五四年二月一三日本件土地を債務者に売渡し、その後所有権移転登記をしたことは当事者間に争いがない。そこで、債務者が右売買に際し、本件土地の所有権の帰属につきいかなる認識をもっていたかにつき検討する。

三  債務者はマンションの中堅分譲業者であること、本件土地の売買代金は単価一七〇万円、合計一〇億二〇〇〇万円であったこと、不動産登記簿上本件土地は昭和二五年以来中野の所有名義になっていたこと、東洋バルブが中野を債務者として昭和五二年五月一九三五番二の土地を仮差押したこと、中野が債権者の内縁の妻であること、以上の各事実は当事者間に争いがない。右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると次のような事実が疎明される。債務者会社の取締役営業部長の地位にある藤野堯久(以下「藤野」という。)は昭和五四年一月中旬に、東京株式市場一部上場の東京建物から本件土地が売りに出ていることを紹介され、マンション用地として取得に乗り出し、単価一七〇万円という価額は高いのでためらったものの、高級マンションを建てれば採算がとれる見込があるので、取得する方針を決め、東京建物を通じて所有者と交渉することになり、中野の代理人であった山岡弁護士に会い、所有権の帰属、抵当権等の負担につき説明を受けたところ、山岡弁護士は、本件土地は中野の所有で、抵当権等も抹消できると述べたので契約にふみ切り、同年二月一三日東京建物の代表取締役西川英夫他二名の立会の下に契約書を作成し、これに従って、同月二〇日五〇〇〇万円、同年三月三一日二億七〇〇〇万円、同年四月二三日七億円をそれぞれ支払った。これに先立って東京建物は山岡弁護士から本件土地売買の打診を受けたが、単価一二〇万円から一五〇万円とふんでいたので、一七〇万円では高いと判断し、他に仲介することになった。また、藤野は中野が債権者の内縁の妻で、債権者が経営していた東洋バルブの倒産により、それに関係して、他の物件が売りに出ていることは知っていた。

右事実によれば、本件土地の売買価額は、一流の不動産業者である東京建物の評価が単価一五〇万円を上回らないことから考えて、時価よりもやや高いものであったと見るのが相当である。また、債権者が会社の経営者、中野がその内縁の妻という関係で、このような両者の間で不動産の贈与がなされるのは珍らしいことではない。昭和二五年ころは不動産の価額が相対的に現在ほど高くはなかったから、内縁の妻の住宅の確保という目的でなされることがかなりあったとも考えられる。次に、本件売買の売主が弁護士を代理人とし、債務者は弁護士と交渉したものであること、仲介者が一部上場会社という一般的には信用がある業者であることを総合して、債務者は本件土地の所有者が中野であったことに疑いを持ってはいなかったと推認すべきである。特に、弁護士は、社会正義の実現を使命とし、誠実に職務を行うべき者であるから、その職務遂行に際しての言動は原則として信頼すべきであり、特段の事情のない限りその信頼は正当とみるべきである。

四  《証拠省略》によれば、東洋バルブの管財人は、会社更生手続で、本件土地を東洋バルブの手で処分しようと試み、不動産業者らに情報を流し、多くの不動産業者が東洋バルブに打診したことが疎明されるが、債務者が東洋バルブに打診したのではないから、右事情によって、債務者が本件土地の所有権の帰属に疑いを持つに至るとはいえない。《証拠省略》によれば、本件土地につき、債権者または東洋バルブを登記簿上の債務者とする根抵当権設定登記が三件なされていたことが疎明されるが、債権者、東洋バルブ、債務者の関係を考えると、中野が物上保証人になることは通常ありえないことではなく、これによって右の推定が左右されるとはいえない。次に、権利証は、登記名義人と売買契約の売主の同一性を一応推定させるにすぎないもので、登記簿に表われない実質上の権利関係については何ら推定させるものではなく、権利証がなくても登記する方法はあるから、権利証を所持しないからといって直ちに疑いを抱くべきものではない。更に、本件土地のように根抵当権の負担の多い物件の売買で、手附金(または相当額の内金)の支払と同時に所有権移転登記をするのは何ら不当ではない。以上のとおり、債権者の反論はいずれも失当であり、その他前記の推定をゆるがせて、債務者が善意であったとの判断を左右する資料はない。

従って、債権者は仮に本件土地の所有者であったとしても、中野が所有権を取得しなかったことを債務者に主張できないことになり、債務者の抗弁は理由があり、債権者の被保全権利は疎明されないことになる。

五  本件仮処分申請は、右のとおり、債務者に対する部分につき被保全権利の疎明がないが、念のため保全の必要性について一言する。前記認定の各事情及び弁論の全趣旨によれば、本件は単に債権者と中野との争いではなく、東洋バルブの倒産に伴い、その更生のため、前経営者である債権者の個人財産をあてる目的で進められているものと考えられる。そうだとしても、本件土地をめぐる紛争は債権者と中野との間で解決すべきであるし、仮に債権者が債務者に対し何らかの権利主張をするとしても、本件土地の所有権回復をめざして、その処分を禁止する仮処分の方法は適切ではない。というのは、会社更正のために必要なのは土地自体ではなく、その担保力または売却して得られる現金である。本件土地には多額の根抵当権が設定されていたし、換金するためには、中野との間で所有権の帰属につき解決した後でなければならず、根抵当権の負担を除いて得られる余剰はかなり少なくなるはずである。しかも売買代金額は債務者の場合のように時価を上回るものになるとは限らない。仮に債権者が本案訴訟で勝訴したとすると、根抵当権の抹消のために弁済された分に関し、法律関係が複雑になるから、このような場合には、詐害行為取消権におけると同様に、価額賠償請求によるべきである。一方債務者はマンションの建築販売を業としているのであるから、本件土地を処分する必要性は高い。従って、債権者にとっては、他に権利主張の方法があり、この場合債務者は価額賠償の資力は十分だと思われ、一方債務者にとっては本件仮処分による損失は少なくない。むしろ、本件土地の根抵当権抹消のため、売買代金の一部(その金額は明らかではないが)で中野が根抵当権者らに代位弁済したことにより、債権者や東洋バルブの債務は減少したはずであり、債権者、東洋バルブにとって好ましい結果になったと考えられる。本件仮処分は必要性の面でも疑問がある。

六  以上の次第で、債権者の本件仮処分申請のうち、債務者に対する部分は、被保全権利について疎明がなく、保全の必要性にも疑問があるので、保証で疎明に代えるのは相当ではないから、原決定のうち債権者と債務者の間の部分を取消したうえ、債務者に対する申請部分を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤道雄)

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